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ウィキペディア 稲葉貞通 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2007/05/12 12:52)稲葉 貞通(いなば さだみち、天文15年(1546年) ? 慶長8年9月3日(1603年10月17日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将(大名)。豊後国臼杵藩の初代藩主。西美濃三人衆で有名な稲葉良通(一鉄)の子。妻は斉藤道三の娘、織田信秀の娘、前田玄以の娘。はじめ父と共に美濃国斉藤氏に仕えていたが、永禄10年(1567年)に織田信長の侵攻軍の前に降伏した。その後は父と共に信長の命に従って各地を転戦した。天正10年(1582年)の本能寺の変では京都にいたが、信長が殺されたことを知ると急いで本国に逃走した。翌年の賤ヶ岳の戦いでは羽柴秀吉に与したが、当時の美濃は織田信孝の支配下にあったため、旧主の息子に刃向かう迷いがあった。そこで貞通は、子の稲葉典通に家督を譲っている。天正16年(1588年)には羽柴姓を下賜された。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでははじめ西軍に与して郡上八幡城に籠もったが、東軍の遠藤慶隆、金森可重らに攻撃されて落城し、その後は東軍について本戦では加藤貞泰隊に従って活躍した。その戦功により、戦後は美濃国八幡藩4万石から臼杵5万石に加増移封された。慶長8年(1603年)、57歳で死去。 先代:- 稲葉氏(臼杵藩初代)藩主1600 - 1603 次代:稲葉典通 このページの上へ
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2007さだみち、52天文15年フリー12百科事典稲葉は、安土桃山時代にかけての05戦国時代から12ウィキペディアウィキペディア出典慶長8年9月3日1603年10月17日1546年いなば大名稲葉貞通貞通武将。豊後国臼杵藩の初代藩主。西美濃三人衆で稲葉良通有名な子一鉄の。妻は娘、織田信秀の斉藤道三の娘前田玄以の娘、。はじめ1567年美濃国斉藤氏に前に仕えていたが、に永禄10年織田信長の父と侵攻軍の降伏した共に。その転戦した共に従って各地を信長の後は命に父と。天正10年の急いで逃走した変では殺されたことを信長が1582年本能寺の京都にいたが、知ると本国に。翌年の戦いでは旧主の美濃は支配下にあったため、刃向かう与したが、賤当時の迷いがあった織田信孝のヶ羽柴秀吉に岳の息子に。そこで譲っている稲葉典通に家督を貞通は、子の。天正16年羽柴姓をには下賜された1588年。慶長5年東軍について1600年加藤貞泰隊に後はその本戦では与して原の東軍の籠もったが、活躍した郡上八幡城に金森可重らに落城し、ヶ従っての西軍に攻撃されて関遠藤慶隆、戦いでははじめ。その戦功により、加増移封された臼杵5万石に戦後は美濃国八幡藩4万石から。慶長8年、死去57歳で1603年。上へ次代稲葉典通この稲葉氏ページの藩主16001603先代臼杵藩初代。


