薬子の変を調べる

2008/08/19 21:58

百科事典 > トップ > 薬子の変をもっと勉強しようと

薬子の変 - hatena

粗筋 810年に起こった宮廷内の抗争事件。薬子の変。薬子の乱とも。律令制において太上天皇と今上天皇が王権を分掌していたことから、最近は平城太上天皇の変、平城太上天皇の乱とも呼ばれる。この頃すでに、在位中体調を崩して譲位した平城上皇が調子を取り戻しまた藤原薬子 から政権を手放さぬよう促され、嵯峨天皇と対立して独自の治世を行ったことから二所朝廷と呼ばれる状態だった。平城天皇の寵厚く、権勢の座にあった藤原薬子が、天皇の退位後、兄仲成とともに再度実権を握ろうとして起こした事件とされる。しかし上皇にまったくその気がなかったとは言えない。天皇を廃し、上皇の重祚と平城京遷都を企てたが未然に発覚。仲成は射殺されてしまう。上皇方は東国へ向かう*1が捕らえられ、平城上皇は出家し薬子は服毒自殺した。

d.hatena.ne.jp



粗筋810年に起こった抗争事件宮廷内の。薬子の変。薬子の乱とも。律令制において乱とも変、平城太上天皇の分掌していたことから、平城太上天皇の今上天皇が太上天皇と王権を呼ばれる最近は。この頃すでに、状態だった在位中体調を治世を嵯峨天皇と二所朝廷と藤原薬子取り崩して手放さぬよう独自の戻しまた平城上皇が促され、譲位したから調子を呼ばれる行ったことから政権を対立して。平城天皇の藤原薬子が、天皇の再度実権を兄仲成とともに事件とされる退位後、権勢の握ろうとして座にあった寵厚く、起こした。しかし言えない気がなかったとは上皇にまったくその。天皇を発覚未然に上皇の企てたが重祚と平城京遷都を廃し、。仲成は射殺されてしまう。上皇方は出家し薬子は平城上皇は捕らえられ、1が服毒自殺した東国へ向かう。

薬子の変 - hatena

原文  戊申,正四位下藤原朝臣真夏、従四位下文室朝臣綿麻呂等,被召自平城宮來,禁綿麻呂於左衛士府。大外記外従五位下上毛野朝臣穎人,従平城急來言:「太上天皇,今日早朝,取川口道入於東國。凡其諸司并宿衛之兵,悉皆従焉。」于時,遣大納言正三位坂上大宿禰田村麻呂等,率輕銳卒,従美濃道邀之。田村麻呂奏請:「綿麻呂,武藝之人,頻經邊戰。募將同行。」即授正四位上,拜參議,以遣之。歡喜踊躍,即駕兵馬。又置宇治、山埼兩橋,與渡市津頓兵。 是夜,令左近衛將監紀朝臣清成、右近衛將曹住吉朝臣豐継等,射殺仲成於禁所。仲成者,參議正三位宇合之曾孫,贈太政大臣正一位種継之長子也。性狼抗使酒。或昭穆無次,忤於心不憚掣蹶。及乎女弟薬子專朝,假威益驕。王公、宿紱,多見凌辱。民部大輔笠朝臣江人之女適仲成也。其姨頗有色。仲成見而絓之。嫌其不和,欲以力強。女脫奔佐味親王。仲成,入王及母夫人家認之。麁言逆行,甚失人道。及遭害,僉以為:「自取之矣。」 外従五位下上毛野朝臣穎人,授従五位上。賞歸順之功也。 己酉,太上天皇至大和國添上郡越田村,即聞甲兵遮前,不知所行。中納言藤原朝臣葛野麻呂、左馬頭藤原朝臣真雄等,先未然雖固諫,猶不納,催駕發進焉。天皇遂知勢蹙,乃旋宮剃髮入道。藤原朝臣薬子,自殺。薬子,贈太政大臣種継之女,中納言藤原朝臣繩主之妻也。有三男二女,長女,太上天皇為太子時,以選入宮。其後,薬子以東宮宣旨出入臥内,天皇私焉。皇統彌照天皇,慮婬之傷義,即令駈逐。天皇之嗣位,徵為尚侍。巧求愛媚,恩寵隆渥。所言之事,無不聽容。百司眾務,吐納自由。威福之盛,熏灼四方。屬倉卒之際,與天皇同輦。知眾惡之歸己,遂仰薬而死。『日本後紀』より

d.hatena.ne.jp



原文、従四位下文室朝臣綿麻呂等,被召自平城宮來,禁綿麻呂於左衛士府戊申,正四位下藤原朝臣真夏、。大外記外従五位下上毛野朝臣穎人,従平城急來言太上天皇,今日早朝,取川口道入於東國。凡其諸司并宿衛之兵,悉皆従焉。于時,遣大納言正三位坂上大宿禰田村麻呂等,率輕卒,従美濃道邀之37555。田村麻呂奏請綿麻呂,武藝之人,頻經邊戰。募將同行。即授正四位上,拜參議,以遣之。歡喜踊躍,即駕兵馬。又置宇治、山埼兩橋,與渡市津頓兵。、是夜,令左近衛將監紀朝臣清成、右近衛將曹住吉朝臣豐継等,射殺仲成於禁所。仲成者,參議正三位宇合之曾孫,贈太政大臣正一位種継之長子也。性狼抗使酒。或昭穆無次,忤於心不憚掣蹶。及乎女弟薬子專朝,假威益驕。王公、宿,多見凌辱。民部大輔笠朝臣江人之女適仲成也。其姨頗有色。仲成見而之。嫌其不和,欲以力強。女奔佐味親王33067。仲成,入王及母夫人家認之。麁言逆行,甚失人道。及遭害,僉以為自取之矣。外従五位下上毛野朝臣穎人,授従五位上、。賞歸順之功也。、己酉,太上天皇至大和國添上郡越田村,即聞甲兵遮前,不知所行。中納言藤原朝臣葛野麻呂、左馬頭藤原朝臣真雄等,先未然雖固諫,猶不納,催駕發進焉。天皇遂知勢蹙,乃旋宮剃髮入道。藤原朝臣薬子,自殺。薬子,贈太政大臣種継之女,中納言藤原朝臣繩主之妻也。有三男二女,長女,太上天皇為太子時,以選入宮。其後,薬子以東宮宣旨出入臥内,天皇私焉。皇統彌照天皇,慮婬之傷義,即令駈逐。天皇之嗣位,24501為尚侍。巧求愛媚,恩寵隆渥。所言之事,無不聽容。百司30526務,吐納自由。威福之盛,熏灼四方。屬倉卒之際,與天皇同輦。知30526惡之歸己,遂仰薬而死。より日本後紀。

薬子の変 - hatena

事件に関る宣命  天皇詔旨良麻止らまと,勅御命乎を,親王、諸王、諸臣、百官人等、天下公民,衆聞食止と宣。尚侍正三位藤原朝臣薬子者,挂畏柏原朝廷乃の御時爾に,春宮坊宣旨止と為弖て仕賜比支ひき。而其為性能の不能所乎を知食弖て,退賜比ひ去賜弖支てき。然物乎を百方趁逐弖て,太上天皇爾に近支き奉流る。今太上天皇乃の讓國給閇流へる大慈,深志乎を不知之弖して,己我が威権乎を擅為止之弖として,非御言事乎を御言止と云都都つつ,褒貶許止こと任心弖て,曾無所恐憚。如此惡事種種在止毛とも,太上天皇爾に親仕奉爾に依弖て,思忍都都つつ御坐。然猶不飽足止之弖として,二所朝庭乎母をも言隔弖て,遂爾波には大乱可起,又先帝乃の萬代宮止と定賜閇流へる平安京乎を,棄賜比ひ停賜弖之てし平城古京爾に遷左牟止さむと奏勸弖て,天下乎を擾乱,百姓乎を亡弊。又其兄仲成,己我が妹乃の不能所乎波をば不教正之弖して,還恃其勢弖て,以虚詐事,先帝乃の親王、夫人乎を凌侮弖て,棄家乗路弖て東西辛苦世之牟せしむ。如此罪惡,不可數盡,理乃の任爾に勘賜比ひ罪奈閇なべ賜布閇久ふべく有止毛とも,所思行有依弖て,輕賜比ひ宥賜比弖ひて。薬子者位官解弖て自宮中退賜比ひ,仲成者佐渡國権守退止と宣。天皇詔旨乎を,衆聞食止と宣。 天皇御命坐,挂畏支き柏原大朝庭爾に申賜閇止へと申久く,内侍尚侍正三位藤原朝臣薬子者,初太上天皇乃の東宮止と坐之し時爾に,東宮宣旨止と為弖て任賜比支ひき。而其為性乃の不能所乎を知食弖て,退賜比ひ去賜弖支てき,然物乎を百方趁逐弖て,太上天皇爾に近支き奉弖て,非御言事乎を御言止と云都都つつ,褒貶任意弖て,曾無所恐憚。又萬代宮止と定賜之し平安京乎毛をも,棄賜比ひ停賜弖之てし平城古京爾に遷左牟止さむと奉勸弖て,天下乎を擾乱,百姓乎を亡弊。又其兄仲成,恃己妹勢弖て,以虚詐事,親王、夫人乎を凌侮弖て,棄家乗路弖て東西辛苦世之牟せしむ。如此罪惡,不可數盡。因茲,薬子者官位解弖て,自宮中退賜。仲成者佐渡國権守退賜比都ひつ。又續日本紀所載乃の崇道天皇與贈太政大臣藤原朝臣不好之事,皆悉破卻賜弖支てし。而更依人言弖て,破卻之事如本記成。此毛も亦無禮之事奈利なり,今如前改正之狀,差參議正四位下藤原朝臣緒嗣,畏彌に)畏牟毛むも申賜久止くと奏。 天皇詔旨良麻止らまと勅大命乎を,衆聞食止と宣。太上天皇乎を伊勢爾に行幸世志米多流せしめたる諸人等,法之隨爾 ..

d.hatena.ne.jp



事件に関る宣命天皇詔旨良麻止らまと、諸王、,勅御命乎を宣百官人等、,親王、天下公民,衆聞食止と諸臣、。尚侍正三位藤原朝臣薬子者,挂畏柏原朝廷乃の,春宮坊宣旨止と為弖て御時爾に仕賜比支ひき。而其為性能の,退賜比ひ知食弖て不能所乎を去賜弖支てき。然物乎を百方趁逐弖て近支き奉流る,太上天皇爾に。今太上天皇乃の,非御言事乎を擅為止之弖として,曾無所恐憚讓國給閇流へる,己我が云都都つつ任心弖て威権乎を不知之弖して御言止と大慈,深志乎を,褒貶許止こと。如此惡事種種在止毛とも,太上天皇爾に依弖て御坐,思忍都都つつ親仕奉爾に。然猶不飽足止之弖として奏勸弖て定賜閇流へる萬代宮止と擾乱,百姓乎を,遂爾波には大乱可起,又先帝乃の言隔弖て亡弊,天下乎を平城古京爾に,二所朝庭乎母をも,棄賜比ひ遷左牟止さむと停賜弖之てし平安京乎を。又其兄仲成,己我が不能所乎波をば凌侮弖て,棄家乗路弖て妹乃の東西辛苦世之牟せしむ親王、,還恃其勢弖て,以虚詐事,先帝乃の不教正之弖して夫人乎を。如此罪惡,不可數盡,理乃の任爾に罪奈閇なべ宥賜比弖ひて,輕賜比ひ勘賜比ひ,所思行有依弖て有止毛とも賜布閇久ふべく。薬子者位官解弖て宣,仲成者佐渡國権守退止と自宮中退賜比ひ。天皇詔旨乎を,衆聞食止と宣。、申久く時爾に,東宮宣旨止と柏原大朝庭爾に天皇御命坐,挂畏支き申賜閇止へと,内侍尚侍正三位藤原朝臣薬子者,初太上天皇乃の為弖て任賜比支ひき坐之し東宮止と。而其為性乃の,退賜比ひ知食弖て,然物乎を云都都つつ不能所乎を,曾無所恐憚奉弖て御言止と近支き去賜弖支てき,褒貶任意弖て百方趁逐弖て,太上天皇爾に,非御言事乎を。又萬代宮止と擾乱,百姓乎を平城古京爾に奉勸弖て定賜之し,天下乎を平安京乎毛をも停賜弖之てし亡弊,棄賜比ひ遷左牟止さむと。又其兄仲成,恃己妹勢弖て夫人乎を凌侮弖て,棄家乗路弖て,以虚詐事,親王、東西辛苦世之牟せしむ。如此罪惡,不可數盡。因茲,薬子者官位解弖て,自宮中退賜。仲成者佐渡國権守退賜比都ひつ。又續日本紀所載乃の崇道天皇與贈太政大臣藤原朝臣不好之事,皆悉破卻賜弖支てし。而更依人言弖て,破卻之事如本記成。此毛も申賜久止くと,差參議正四位下藤原朝臣緒嗣,畏彌に亦無禮之事奈利なり畏牟毛むも,今如前改正之29376奏。、宣勅大命乎を天皇詔旨良麻止らまと,衆聞食止と。太上天皇乎を伊勢爾に行幸世志米多流せしめたる諸人等,法之隨爾。

ウィキペディア ウィキペディア 薬子の変 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2007/09/16 03:52 UTC 版)薬子の変(くすこのへん)は、平安時代初期に起こった事件である。平城太上天皇の変ともいう。平城上皇と嵯峨天皇とが対立するが、嵯峨天皇側が迅速に兵を動かしたことによって平城上皇が出家して決着する。平城上皇の愛妾の藤原薬子や、その兄である藤原仲成らが処罰された。 経過806年、桓武天皇が崩御して皇太子であった安殿親王が即位した。平城天皇である。平城天皇は弟の神野親王を皇太弟とした。これは平城天皇が病弱でその子供達も幼かった事を考えて嫡流相続による皇位継承を困難と見た父・桓武天皇の意向があったともいわれている。だが、翌年には早くも天皇の異母弟伊予親王が突然謀反の罪を着せられて死に追い込まれるなど、皇位継承を巡る宮廷内部の紛争は収まる事を知らなかった。809年4月、平城天皇は発病し、病を早良親王や伊予親王の亡霊によるものと考えた天皇は禍を避けるために譲位を決意する。天皇の寵愛を受けて専横を極めていた尚侍の藤原薬子とその兄藤原仲成は極力反対するが、天皇の意思は強く、同年4月13日に譲位して神野親王が即位する(嵯峨天皇)。皇太子には平城天皇の子の高岳親王がなった。810年、退位した平城上皇は旧都平城京へ移る。平城上皇が天皇のときに設置した観察使の制度を嵯峨天皇が改めようとしたことから平城上皇がこれを怒り二所朝廷といわれる対立が起こる。平城上皇の復位をもくろむ薬子と仲成はこの対立を大いに助長した。嵯峨天皇は3月に蔵人所を設置し、6月には観察使を廃止して参議を復活した。このことは平城上皇を刺激する。二所朝廷の対立が深まる中で、9月6日、平城上皇は平安京を廃して平城京へ遷都する詔勅を出した。このことは嵯峨天皇にとって思いがけない出来事であり、嵯峨天皇はひとまずこれに従うとして坂上田村麻呂、藤原冬嗣、紀田上らを造宮使に任命する。造宮使として嵯峨天皇に信任されている人々を送り込み牽制しようとしたと考えられる。遷都のことに人心は大いに動揺した。嵯峨天皇は遷都を拒否することを決断する。9月10日、嵯峨天皇は使節を発して、伊勢、近江、美濃の国府と故関を固めさせる。その上で、仲成を捕らえて右兵衛府に監禁し、仲成を左遷し、薬子の官位を剥奪して罪を鳴らす詔を発した。嵯峨天皇は造宮使だった坂上田村麻呂を大納言 ..



事件である0916平安時代初期には、2007ウィキペディア52薬子のフリー薬子のくすこのへん変出典百科事典変ウィキペディア03ウィキペディア版起こった。平城太上天皇の変ともいう。平城上皇と決着する出家して平城上皇が動かしたことによって嵯峨天皇側が対立するが、嵯峨天皇とが迅速に兵を。平城上皇の処罰された愛妾のその藤原仲成らが藤原薬子や、兄である。安殿親王が崩御して桓武天皇が皇太子であった経過806年、即位した。平城天皇である。平城天皇は弟の皇太弟とした神野親王を。これは皇位継承を幼かった平城天皇が考えて意向があったともいわれている子供達も困難と父桓武天皇の病弱でその見た嫡流相続による事を。だが、追い罪を紛争は収まる事を天皇の巡る異母弟伊予親王が着せられて込まれるなど、皇位継承を早くも死に翌年には突然謀反の宮廷内部の知らなかった。809年4月、病を亡霊によるものと避けるために早良親王や譲位を禍を天皇は発病し、決意する考えた伊予親王の平城天皇は。天皇の寵愛を専横を譲位して天皇の強く、受けて極めていた藤原薬子とその即位する嵯峨天皇意思は同年4月13日に兄藤原仲成は極力反対するが、神野親王が尚侍の。皇太子には平城天皇の子の高岳親王がなった。810年、移る退位した平城上皇は旧都平城京へ。平城上皇が対立が改めようとしたことから嵯峨天皇が観察使の制度を設置した起こる二所朝廷といわれる怒り平城上皇がこれを天皇のときに。平城上皇の復位をもくろむ大いに仲成はこの助長した薬子と対立を。嵯峨天皇は3月に参議を観察使を廃止して6月には設置し、蔵人所を復活した。このことは平城上皇を刺激する。二所朝廷の出した対立が深まる廃して平安京を遷都する9月6日、平城京へ詔勅を平城上皇は中で、。このことは坂上田村麻呂、従うとして藤原冬嗣、嵯峨天皇はひとまずこれに造宮使に出来事であり、任命する嵯峨天皇にとって紀田上らを思いがけない。造宮使として送りを人嵯峨天皇に込み考えられる牽制しようとしたと信任されている。遷都のことに人心は大いに動揺した。嵯峨天皇は遷都を拒否することを決断する。9月10日、伊勢、故関を美濃の嵯峨天皇は使節を近江、国府と発して、固めさせる。その剥奪して鳴らす監禁し、仲成を左遷し、官位を捕らえて詔を仲成を罪を薬子の上で、発した右兵衛府に。嵯峨天皇は坂上田村麻呂を大納言造宮使だった。

「薬子の変」を含む楽天市場の商品

平安京物語
著者:村井康彦出版社:小学館サイズ:単行本ページ数:222p発行年月:1994年07月この著者の新着メールを登録する【内容情報】(「BOOK」データベースより)いかにして、京都は千年の都となりえたのか―。たえず...
1630 円 - http://item.rakuten.co.jp/book/666551/

光源氏さま、それは恋の熱病です
人物栄養栄華伝 著者:藤川桂介/猪股慶子出版社:香柏社/創芸社サイズ:単行本ページ数:342p発行年月:1996年10月この著者の新着メールを登録する【内容情報】(「BOOK」データベースより)ベストセラー『宇宙...
1835 円 - http://item.rakuten.co.jp/book/834032/

日本古代宮廷社会の研究
思文閣史学叢書 著者:滝浪貞子出版社:思文閣出版サイズ:単行本ページ数:572,発行年月:1991年11月この著者の新着メールを登録する【目次】(「BOOK」データベースより)1 皇位と皇統(光明子の立后とその破...
12390 円 - http://item.rakuten.co.jp/book/511939/

トラックバック - http://www.cc.f4.bb.d2.a4.ce.ca.d1.otpp.info/tb/ujjnvrqpp
©2006 otpp.info