2008/12/19 21:13
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三国志小事典 むじん書院 楊帛Yang Bo ヨウハク(ヤウハク) (???) 張魯の将。『典略』では彼の名を楊白とする。また、楊昂と同人である可能性が高い。これは紙に書かれた楊帛の名を写し間違えたものである。建安十八年(二一三)、劉備が益州牧劉璋を裏切って成都に攻め上ったとき、中郎将霍峻が葭萌関を守っていた。楊帛は張魯の命を受けて(軍勢を率い)「一緒に城を守ろうではないか」と霍峻に持ちかけたが、「拙者の首を取っても、城を手に入れることはできぬぞ」と断られ、退却した《霍峻伝》。翌十九年、漢中の張魯の許には馬超が身を寄せていたが、楊帛は彼が能力を発揮できないように画策した。そのため馬超は武都から氐族の地に逃げ込み、それから蜀へと出奔した《馬超伝》。【参照】霍峻 / 張魯 / 馬超 / 劉璋 / 劉備 / 益州 / 葭萌関 / 漢中郡 / 蜀 / 成都県 / 武都郡 / 中郎将 / 牧 / 氐族
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ヤウハク?ヨウハク張魯の三国志小事典むじん書院楊帛将?。では彼の楊白とする典略名を。また、同人である可能性が楊昂と高い。これは写し楊帛の間違えたものである名を紙に書かれた。建安十八年攻め葭萌関を、益州牧劉璋を二一三裏切って中郎将霍峻が上ったとき、成都に守っていた劉備が。楊帛はと守ろうではないか断られ、一緒に退却した取っても、霍峻に持ちかけたが、と率い城を霍峻伝入れることはできぬぞ受けて首を張魯の命を手に城を拙者の軍勢を。翌十九年、身を彼が楊帛は画策した能力を寄せていたが、張魯の漢中の許には発揮できないように馬超が。そのため馬超は武都から蜀へとそれから地に馬超伝族の出奔した逃げ込み、。葭萌関益州蜀馬超劉備張魯成都県参照中郎将漢中郡霍峻劉璋牧族武都郡。
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