百科事典 > トップ > 陸奥嵐幸雄で一日が過ぎてゆく・・
ウィキペディア ウィキペディア 陸奥嵐幸雄 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2007/12/20 07:46 UTC 版)陸奥嵐 幸雄(むつあらし ゆきお、1943年1月12日 - 2002年7月30日)は、青森県上北郡甲地村(現在の東北町)出身で宮城野部屋所属の元大相撲力士。本名は南幸雄(みなみ ゆきお)。身長177cm、体重115kg。得意手は左四つ、吊り、河津掛け。最高位は東関脇。 目次1 来歴2 主な成績3 改名歴4 関連項目 来歴1961年(昭和36年)9月場所、元横綱・吉葉山の興した宮城野部屋より初土俵。前職はトラックの運転手だった。1965年(昭和40年)11月場所、新十両となり、1967年(昭和42年)3月場所、新入幕で13勝(新入幕の最多勝記録である)して敢闘賞を受賞。1968年(昭和43年)7月場所では敢闘・技能の両賞を手にする活躍を見せた。関脇在位は1場所にとどまったが、盛んに奇手『河津掛け』やアゴを上げたままで強引に吊り出すという荒っぽい取り口で、セオリー無視の豪快な相撲で個性派力士として名をはせ、“東北の暴れん坊”の異名をとった。一時期は親方の養女と結婚、部屋の後継者とも目されたが、後に離婚し、後継候補からおりた。どういうわけか富士櫻に弱く関脇同士にもかかわらず11回対戦して全敗だった。1976年(昭和51年)3月場所限り引退し年寄安治川を襲名、独立して安治川部屋を興したが、健康上の問題もあって、1993年(平成5年)4月、大島部屋の元横綱・旭富士に名跡・部屋とも譲り廃業した。廃業直後に部屋の古参の幕下力士陸奥北海が十両に昇進し、「俺がいなくなったとたんに力出しやがって」と苦笑していたという逸話が伝わる。 主な成績 幕内成績:375勝417敗3休 勝率.473 幕内在位: 53場所(うち関脇1場所、小結3場所) 三賞:敢闘賞4回(1967年3月場所、1968年7月場所、1970年3月場所、1971年1月場所)、技能賞1回(1968年7月場所) 金星:2個(大鵬1個、柏戸1個) 各段優勝:十両1回(1967年1月場所) 改名歴 南 陸奥嵐 関連項目 大相撲力士一覧 関脇一覧
-
ウィキペディア陸奥嵐幸雄青森県上北郡甲地村2002年7月30日46むつあらし百科事典版12072007元大相撲力士は、ウィキペディア陸奥嵐出身でウィキペディア現在の幸雄宮城野部屋所属のゆきお、フリー20東北町1943年1月12日出典。本名はゆきおみなみ南幸雄。身長177、体重115。得意手は吊り、河津掛け左四つ、。最高位は東関脇。宮城野部屋より成績3吉葉山の元横綱関連項目来歴2主な来歴1961年9月場所、目次1興した改名歴4初土俵昭和36年。前職は運転手だったトラックの。1965年3月場所、昭和42年受賞新入幕の新十両となり、昭和40年新入幕で13勝敢闘賞を11月場所、して1967年最多勝記録である。1968年見せた技能の7月場所では敢闘両賞を活躍を手にする昭和43年。関脇在位は1場所にとどまったが、坊盛んに上げたままで河津掛けのアゴを荒っぽい奇手豪快な無視の東北の個性派力士として異名をとった吊り口で、暴れん強引にセオリー取り相撲でや出すという名をはせ、。一時期は後継候補からおりた離婚し、後継者とも部屋の養女と目されたが、結婚、親方の後に。どういうわけか富士櫻に関脇同士にもかかわらず11回対戦して全敗だった弱く。1976年3月場所限り名跡4月、独立して年寄安治川を旭富士に廃業した昭和51年部屋とも問題もあって、1993年元横綱大島部屋の襲名、譲り興したが、平成5年健康上の引退し安治川部屋を。廃業直後に十両に古参の幕下力士陸奥北海が力出しやがって俺がいなくなったとたんにと伝わる逸話が部屋の昇進し、苦笑していたという。十両1回2個1968年7月場所、技能賞1回成績うち幕内成績1971年1月場所、47353場所1970年3月場所、勝率大相撲力士一覧大鵬1個、関脇1場所、敢闘賞4回金星各段優勝改名歴関連項目小結3場所陸奥嵐関脇一覧1968年7月場所南三賞柏戸1個主な1967年1月場所375勝417敗3休、1967年3月場所、幕内在位。


