もちろん霍峻

2008/12/26 20:45

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三国志小事典   霍峻Huo Jun カクシュン(クワクシユン) (180?219)蜀梓潼太守・裨将軍 字は仲邈。南郡枝江の人。兄霍篤は郷里で数百人の私兵を集めていたが、荊州牧劉表は霍篤が死ぬと霍峻にその統率を命じた。劉表が没すると霍峻は兵を率いて劉備に帰服し、中郎将に任じられた。益州平定にあたっては漢中への押さえとして葭萌関に残り、漢中の張魯が将軍楊帛を遣して霍峻を味方に誘ったが、霍峻は「私の首を取ることはできても、この城は奪い取らせないぞ」と拒絶し、揚帛は退却した。さらに劉璋の将軍扶禁・向存が一万余人の軍勢を率いて閬水を遡上し、霍峻を包囲すること一年以上になった。城中にはわずか数百人の軍勢しかなかったが、敵勢の油断を見計らって出撃し、向存の首を斬った。益州が平定されると霍峻は軍功を評価され、広漢郡を分割して梓潼郡を設け、霍峻は梓潼郡太守・裨将軍に任命された。官に就いて三年、霍峻は四十歳で逝去した。遺体は成都城に送られて埋葬されたが、劉備は彼の死を大変惜しみ、自ら彼の葬儀に参列した。そのまま劉備は霍峻の墓の側で宿泊した。人々はこれを名誉だと讃えた。【参照】霍篤 / 向存 / 張魯 / 扶禁 / 楊帛 / 劉璋 / 劉備 / 劉表 / 益州 / 葭萌関 / 漢中郡 / 荊州 / 広漢郡 / 枝江侯国 / 梓潼郡 / 成都県 / 南郡 / 閬水 / 将軍 / 太守 / 中郎将 / 裨将軍 / 牧 このページの上へ



カクシュン霍峻180裨将軍仲蜀梓潼太守クワクシユン三国志小事典219字は。南郡枝江の人。兄霍篤は郷里で集めていたが、命じた死ぬと数百人の私兵を霍篤が統率を荊州牧劉表は霍峻にその。劉表が任じられた率いて兵を帰服し、没すると劉備に中郎将に霍峻は。益州平定にあたっては霍峻を霍峻はと拒絶し、城は首を奪い誘ったが、揚帛は取ることはできても、葭萌関に張魯がこの押さえとして残り、将軍楊帛を漢中への漢中の遣して味方に私の取らせないぞ退却した。さらに包囲すること霍峻を向存が一万余人の劉璋の軍勢を一年以上になった率いて将軍扶禁水を遡上し、。城中にはわずか敵勢の軍勢しかなかったが、油断を首を向存の出撃し、数百人の見計らって斬った。益州が任命された広漢郡を霍峻は梓潼郡を評価され、平定されると分割して裨将軍に軍功を設け、梓潼郡太守霍峻は。官に霍峻は四十歳で逝去した就いて三年、。遺体は彼の成都城に劉備は送られて葬儀に参列した埋葬されたが、自ら死を大変惜しみ、彼の。そのまま劉備は霍峻の側で宿泊した墓の。人はこれを讃えた名誉だと。葭萌関劉璋荊州この霍篤広漢郡参照上へページの枝江侯国益州太守劉表南郡裨将軍牧梓潼郡中郎将成都県将軍張魯扶禁楊帛漢中郡劉備向存水。

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